よくあるご質問
アラビア語でスーフィズムを意味するタサウウフ(Tasawwuf)は、ア シャブ・アル=スッファ(ベンチの人々)という呼称に由来していま す。ベンチの人々とは、聖預言者様(S)の仲間で、全生涯を奉 仕活動に捧げた人たちを指しました。そのような人たちは、世俗的な 生活を捨て、預言者様のモスクの日陰でベンチに座って生活してい たので、このような呼び名がつけられたのです。彼らは、絶えず預言 者様(S)のそばにいて、預言者様との交わりに専念していました。
アラビア語でスーフィズムを意味するタサウウフ(Tasawwuf)は、ア シャブ・アル=スッファ(ベンチの人々)という呼称に由来していま す。ベンチの人々とは、聖預言者様(S)の仲間で、全生涯を奉 仕活動に捧げた人たちを指しました。そのような人たちは、世俗的な 生活を捨て、預言者様のモスクの日陰でベンチに座って生活してい たので、このような呼び名がつけられたのです。彼らは、絶えず預言 者様(S)のそばにいて、預言者様との交わりに専念していました。 彼らは名声も世俗的な権力も富も持たず、ただ奉仕することを望 みました。彼らの霊的地位は、預言者様(S)とその道に対する献 身的な奉仕に由来しています。スーフィズムとは、このような人々の 足跡をたどることです。タリーカという言葉の文字通りの意味は「道」です。スーフィズムにおけるタリーカとは、霊的な探求者(ムリードと 呼ばれています)が霊的な道を歩むための共同体です。イスラーム 教の伝統では 41 の主要なタリーカがあり、そのうちの 40 のタリーカ は、聖預言者様(S)の従兄弟であるハズラット・アリ・アル=モル タザ(KW)に由来します。その中には、カーディリー、シャディール、 リファーイー、ジェラヒなどの教団があります。私たちの道、この最も格 調高いオスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ教団は、預言者様(S) の最も近しい仲間であり、その洞窟での仲間であったハズラット・ア ブ・バクル・アズ=シディック(RA)にその系譜を遡ることができる唯 一のスーフィー教団です。私たちは、この偉大なる霊的な師たちのタ リーカにおいて、スーフィズムの道を歩むことを望んでいます。
シェイク(シャイフ)は霊的な指導者です。スーフィーの道を歩むこと を望む人は、道を案内してくれる人を持たなければなりません。なぜ なら、タリーカにおける中心的な課題は、自らのエゴと闘うことだから です。シェイクの導きがなければ、人は自分のエゴに騙されて、実は 道からの逸脱に向かっているのにもかかわらず、自分自身を浄化し ていると思い込んでしまいます。
シェイク(シャイフ)は霊的な指導者です。スーフィーの道を歩むこと を望む人は、道を案内してくれる人を持たなければなりません。なぜ なら、タリーカにおける中心的な課題は、自らのエゴと闘うことだから です。シェイクの導きがなければ、人は自分のエゴに騙されて、実は 道からの逸脱に向かっているのにもかかわらず、自分自身を浄化し ていると思い込んでしまいます。ナクシベンディ教団の偉大なグランシ ェイクの一人であるハズラット・ バヤズィッド・バスタミ(KS)は、「シェ イクを持たぬ者は、シェイターン(サタン)がその者のシェイクとなる」 と言っています。この言葉の意味は、導く人がいなければ、人は道か ら迷い出てしまうということです。シェイクとは、その先の道筋を知る 者であり、ムリード(道の探求者)を道中の危険から遠ざけてくれる人なのです。シェイクは、現実には、聖預言者様(S)の継承者 です。預言者様(S)の伝承にもあるように、「共同体におけるシェ イクは、国における預言者のようなもの」なのです。シェイクと一緒に 座り交わること(ソフベット)で、私たちは、預言者様と一緒に座っ て交わっていた仲間たちに倣うことになるのです。
ラビータとは、つながる、対話するという意味です。ナクシベンディ教 団のムリード(探求者、追従者、弟子)たちの霊的修養の一つ は、自分のシェイクとラビータすることです。私たちの指導者であるサ ヒブ・エル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、ムリードたちはラビータという修練を空想の修練 に変えてしまう罠にはまってはいけないと語っています。ラビータはシェ イクと交わり一緒にいることで成長します。
ラビータとは、つながる、対話するという意味です。ナクシベンディ教 団のムリード(探求者、追従者、弟子)たちの霊的修養の一つ は、自分のシェイクとラビータすることです。私たちの指導者であるサ ヒブ・エル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、ムリードたちはラビータという修練を空想の修練 に変えてしまう罠にはまってはいけないと語っています。ラビータはシェ イクと交わり一緒にいることで成長します。シェイクのそばから離れる ときには、「私がこの行動をとったらシェイクは喜ぶだろうか」と常に自 問します。常にシェイクが前にいることを意識し、そのようにアダブ (良い礼儀作法)を守ることで、ムリードはその指導者とともにラビ ータを成長させることができるのです。デルガヒから物理的に離れてい るムリードでも、タファックル(熟考)をして、「私のシェイクはこれをど う見るだろうか? これを聞いたらどう思うだろうか?」と自問するこ とができます。そのようなムリードは、定期的にライブ配信を見ること で、シェイクとのつながりを保つことができます。
すべてのタリーカにはピル、つまり創始者がいます。私たちのタリーカのピルであるシャー・ナクシベンド・ムハマド・アル=ウワイシ・アル=ブハ リ(KS)は、「タリカトゥナ・ソフベット・ワ・カイリ・フィル・ジャミアット われわれのタリーカはつながりの上に成り立ち、善は交わりによっても たらされる」と語りました。
すべてのタリーカにはピル、つまり創始者がいます。私たちのタリーカのピルであるシャー・ナクシベンド・ムハマド・アル=ウワイシ・アル=ブハ リ(KS)は、「タリカトゥナ・ソフベット・ワ・カイリ・フィル・ジャミアット われわれのタリーカはつながりの上に成り立ち、善は交わりによっても たらされる」と語りました。他のタリーカが、ズィクルやカルワット、ある いは音楽などを拠り所としているのに対し、ナクシベンディの道は、ソ フベット(説教、対話)に拠り所を置いています。それは、ソフベッ トという方法が、預言者様(S)の仲間たちが実践した生活様式 に最も似ているからです。彼らが預言者様(S)と常に交わることに よって、知識、礼儀作法、霊性を身につけたように、ナクシベンディの 師たちは、交わることによってムリードに教えを説くのです。交わりを 通じて、ムリードは常に意識的であるように教えられます。交わりを 通じて、ムリードはシェイクの良い礼儀作法を身につけます。交わりを 通じて、自分のエゴが自分をだます手口や罠を理解し、そうすること で霊的な道を進んでいくことができます。シェイク・アブドゥル・ケリム・ アル=キブリシ(KS)は、ソフベットは信者が自分のエゴやシェイタ ーン(サタン)と戦うための弾薬を与えてくれると語っています。ソフ ベットを聞く者と聞かない者の例は、国境地帯を警備している二人 の兵士のようなものです。ソフベットを聞く者は、敵と戦うためにライ フル銃に弾丸を入れているのに対し、もう一人はライフル銃を持って いても弾丸がありません。ライフル銃は弾丸を入れて初めて使いもの になるのです。それと同様に、ソフベットはムリードが霊的な道で遭 遇する危険や罠と戦うために必要な道具を与えてくれます。ソフベッ トなしでは、ムリードは道を見失ってしまうでしょう。
オスマンリ・デルガヒのメルケズ(センター)がニューヨーク州北部にあ るのは、サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブ リシ・アル=ラバニ(KS)が神の啓示によってこの場所を選んだから です。
オスマンリ・デルガヒのメルケズ(センター)がニューヨーク州北部にあ るのは、サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブ リシ・アル=ラバニ(KS)が神の啓示によってこの場所を選んだから です。シェイクは、スルタン・ウル・アウリヤ・シェイク・メヴラナ・ナジム・ アル=キブリシ(KS)より、アメリカにオスマンリ・デルガヒを開くよう 命じられました。デルガヒの場所を探していた時、シェイク・アブドゥ ル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、現在彼のマカームとなっている 場所で、グランシェイク・アブドゥッラー・ファイズ・アル=ダゲスタニ (KS)の光を見ました。聖預言者様(S)は、終末の時代には、 太陽は西から昇るだろうと述べています。シェイク・アブドゥル・ケリム・ アル=キブリシ(KS)はこれを、終末の時代にイスラーム教が西か ら昇ることを意味するものだと説明しました。彼は、オスマンリ・デルガ ヒが、ムハンマド・アル=マハディ(AS)がタクビールを唱えるときの デルガヒのひとつになると繰り返し述べています。16 歳の時、シェイ ク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、グランシェイク・アブ ドゥッラー・ファイズ・アル=ダゲスタニ(KS)から、彼がいつか西洋の 大陸をイスラームに開かせると告げられました。ニューヨークのオスマン リ・デルガヒは、その啓示を実現したものなのです。
サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、自分のムリードたちに、黙想のズィクルと唱念の ズィクルの両方をするように教えています。黙想のズィクルは、古くか らナクシベンディの道においての際立った特徴となっています。
サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、自分のムリードたちに、黙想のズィクルと唱念の ズィクルの両方をするように教えています。黙想のズィクルは、古くか らナクシベンディの道においての際立った特徴となっています。この道のムリードたちは、シェイク・メヴラナ・ナジムがシェイク・アブドゥル・ケリ ムに与えたタスビ(数珠)によって、毎晩黙想のズィクルを行いま す。このタリーカの今世紀のムジャッディッドであるスルタン・アル・アウ リヤは、かつてのフワージャガーンによって行われたように、ナクシベンデ ィの間で唱念のズィクルの修練を復活させました。シェイク・アブドゥ ル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、イマーム・ラバニ(KS)のよう なこの道の師たちが唱念のズイゥルの修練を打ち切った理由は、そ れが見栄や見せびらかしの手段になってしまったからだと言っていま す。シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシは、今日ではその状 況は逆転し、黙想のズィクルが自惚れのために悪用され、一方、唱 念のズィクルは軽視されていると述べています。ナクシベンディの道 は、決して静的なものではありません。その時代の必要に応じて変 化します。アカール・ザマン(終わりの時代)の人々は、信仰が最 低のレベルにまで達しており、唱念でズィクルをすることは、人々の心 を目覚めさせるためのショック療法として有効です。さらに、私たちの シェイクは、イスラームの生ける力を示し、人々の心をナクシベンディ の道に引きつける方法として、唱念によるズィクルを用いてきました。 黙想のズィクルは、ナクシベンディの道における特徴的な修練です。 この唱念のズィクルは、預言者様(KS)とハズラット・アブ・バクル・ シディク(RA)がタウラーの洞窟で行ったズィクルを再現したもので あり、ハトム・エ・フワージャガーン(Khatm-e-Khwajagan)と呼ば れています。唱念のズィクルは、定着したスンナ(慣行)であり、こ の「終わりの時」において、マハディ(AS)の時を迎えるのためにムリ ードたちに活力と霊的な力を与えるものなのです。
バヤーとは、聖預言者様(S)とその仲間たちによって始められた慣 習であり、聖典クルアーンの中でアッラー(SWT)が称賛しているも のです。
バヤーとは、聖預言者様(S)とその仲間たちによって始められた慣 習であり、聖典クルアーンの中でアッラー(SWT)が称賛しているも のです。アッラーは、スーラ・アル・ファトフの中で、「確かに、信者たち が木の下で汝(ムハンマドよ)にバヤーを捧げた時、アッラーはそれ を喜ばれ、彼らの心の中を知っておられたので、彼らの上に静寂を 下され、間もなく征服地という形で彼らに報いられた」と述べておら れます[スーラ・アル・ファトフ 48:18]。バヤーは、ムスリムがこの 1400 年の伝統に自分自身を繋げることを可能にします。私たちの シェイクは、預言者様(S)の継承者たちの黄金の鎖によって預言 者様と繋がっています。シェイクにバヤーを捧げることで、ムリードたち もこの黄金の鎖とつながり、アッラーの友の保護と導きの下に身を置 くことができるのです。
オスマントルコは、聖預言者様(S)とアウリヤの愛の上に築かれた 帝国を治めていました。それはタリーカの帝国でした。スンナと聖人 の友への献身により、オスマン帝国はおよそ 7 世紀にわたって栄華 を極めました。有徳なカリフたちの後、オスマントルコは預言の道を 最も完全な姿で体現するものとなったのです。
オスマントルコは、聖預言者様(S)とアウリヤの愛の上に築かれた 帝国を治めていました。それはタリーカの帝国でした。スンナと聖人 の友への献身により、オスマン帝国はおよそ 7 世紀にわたって栄華 を極めました。有徳なカリフたちの後、オスマントルコは預言の道を 最も完全な姿で体現するものとなったのです。さらに、オスマントルコ は、常に正義の旗を掲げていました。彼らは、イスラーム教徒であろう と非イスラーム教徒であろうと、トルコ人、アラブ人、ユダヤ人、キリス ト教徒であろうと、すべての人に権利を与えました。オスマントルコは、霊的な力と現世的な力との結合において、その頂点を極めまし た。オスマントルコを愛し、彼らの道に従うことで、私たちはアヒレット (来世)において彼らと一緒になることを望んでいるのです。
シェイクが私たちに教えてくれた信念は、世界はアカール・ザマン(終 わりの時代)として知られる時代にあるということです。今は苦難と 争いの時代であり、伝統的な道徳が覆される時でもあります。この 時代には、ダジャール(反キリスト)が出現し、その体制を世界中 に広めていくでしょう。
シェイクが私たちに教えてくれた信念は、世界はアカール・ザマン(終 わりの時代)として知られる時代にあるということです。今は苦難と 争いの時代であり、伝統的な道徳が覆される時でもあります。この 時代には、ダジャール(反キリスト)が出現し、その体制を世界中 に広めていくでしょう。シェイク・メヴラナとシェイク・アブドゥル・ケリム・ アル=キブリシは、ダジャールの体制はこの世にすでに確立されてお り、ダジャールは自らを現わす時を待っているのだと言われました。信 者たちの希望は、聖預言者様(S)が、孫の一人であるムハンマ ド・マハディ(AS)が、不正義で満たされた地球を今度は正義で 満たすために来られると仰せになった約束にあるのです。マハディ (AS)は、ナクシベンディの道から来ると、ムジャッディド・アルフ=タ ーニー・イマム・アフマド・ファルク・アル=シルヒンディ(KS)は言われ ました。彼はまた、「私たちは、ハズラット・マハディ(AS)は私たちの このニスバット(霊的系譜)の中にいると霊感を受けている」とも語 りました。