ナクシベンディ・タリーカは、アッラーに至るスーフィーの道の中で最も格調高いものです。
タリカの道
オスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ・スーフィー教団は、イスラーム教と 預言者の封印と言い伝えられるアッラーの最愛の預言者ムハンマド 様(S)の伝統に深く根ざした正統な霊道(タリーカ)です。
シェイク
シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシは、シェイク・メヴラナ・ナジ ムの全世界における代表者(カリフ)です。彼は、預言者一族の 子孫という神聖な血筋に恵まれただけでなく、オスマン帝国のスルタ ンたちの王家の子孫でもあります。キプロスで生まれ、シェイク・ナジム の手によって育てられながら、修練を受けました。彼は若くして北米 に派遣され、貴重な人生経験を積み、最終的には米国と世界中 にイスラーム教とスーフィズムの真の教えを広めることになりました。
デルガヒ
デルガヒ はすべての人に開放されています。「来なさい、あなたが誰 であれ。私たちは愛の隊商なのだから」とルーミーは呼びかけていま す。興味深いことに、この詩に登場する隊商とはルーミーの原詩では、スーフィーの会堂であるデルガヒ(ダルガー)と書かれていまし た。私たちのシェイクは、「来る者は拒まず、去る者は追わず」と言 います。来ることも、留まることも、去ることも、ここでは強いられるこ とはありません。
デルガヒについて
ナクシベンディ・タリーカは、アッラーに至るスーフィーの道の中で最も格 調高いものです。その特徴は、預言者ムハンマド様(AS)の最も 近い友人であったハズラット・アブ・バクル・エル=シッディクに由来す るニスバット(霊的系譜)にあります。ナクシベンディの道は、何世 紀にもわたって、フワージャガーンとして知られる師たちによって受け継 がれてきました。この最後の時代に、ナクシベンディの道の秘伝は、ス ルタン・エル=エヴリヤ・シェイク・メヴラナ・ムハンマド・ナジル・アディ ル・エル=ハッカニ・エル=キブリシに委ねられました。
1970 年代後半、聖人のスルタンは、彼に最も近いムリッドの 1 人 であるシェイク アブドゥル ケリム エル キブリシ エル ラバニを代表とし て米国に派遣しました. 師からサヒブ・エル=セイフの霊名を授かった シェイク・アブドゥル・ケリムは、人種差別と社会の激変の時代に、ア メリカで聖預言者様とナクシベンディの師たちの清き教えを広めるた めに精力的に活動しました。2002 年、彼の霊的使命は、ニューヨー ク州北部にオスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ・デルガヒを創設するこ とによって達成されました。
デルガヒとは、「神聖なる存在への入り口」を意味しています。ナクシ ベンディのシェイクとオスマントルコのスルタンの伝統に基づき、サヒ ブ・エル=セイフは、真理を求める人々が預言的な生き方を送るた めの場所として、オスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ・デルガヒを創設 しました。
オスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ・デルガヒで修練を受け、ナクシベ ンディの師としての威厳を身につけるために選ばれた一人がシェイク・ ロクマン・エフェンディでした。サヒブ・エル=セイフによる誓いの儀式を 終えるとすぐに、シェイク・ロクマン・エフェンディはカリフ(継承者)の 称号を授けられました。それから 15 年以上にわたって、彼はあらゆ る意味でサヒブ・エル=セイフの代わりを務める存在でありました。サ ヒブ・エル=セイフがターバンを巻き、アッラーを讃える会に参加したこ とを理由にトルコ政府によって投獄されたとき、シェイク・ロクマン・エ フェンディは米国での彼の霊的共同体を守り続けました。2012 年、 サヒブ・エル=セイフは、マハディ(AS)の到来に向けてこの宇宙を 準備するために、この地上の住まいから主の御許に召されました。そ れ以来、シェイク・ロクマン・エフェンディは、サヒブ・エル=セイフ自らと スルタン・エル=エヴリヤの許しと指示のもと、サヒブ・エル=セイフの 権威を引き継ぐことになりました。.
シェイク・ロクマン・エフェンディは、オスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ の道の指導と、終末の時代の人々の心の復興に人生を捧げ、時 代の主であるムハンマド・マハディ(AS)の到来に人々を備えさせよ うとしています。
ナクシベンディのシェイクたち
私たちは自分たちのことを主張しているのではありません。人々が私 たちをどう呼ぼうとも、私たちはオスマントルコとオスマントルコの道に 従うことを望んでいるのです。
もっと詳しくシェイク・メヴラナ・ナジム・
アディル・エル=ハッカニ
シェイク・メヴラナ・ナジムは、グランシェイクであり、この時代の聖者の スルタンでした。
シェイク・アブドゥル・ケリム
アル=キブリシ・アル=ラバニ
サヒブ・エル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシは、 オスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ・タリーカの指導者です。
よくあるご質問
その他の質問スーフィズムとは? タリーカとはとは何ですか
アラビア語でスーフィズムを意味するタサウウフ(Tasawwuf)は、ア シャブ・アル=スッファ(ベンチの人々)という呼称に由来していま す。ベンチの人々とは、聖預言者様(S)の仲間で、全生涯を奉 仕活動に捧げた人たちを指しました。そのような人たちは、世俗的な 生活を捨て、預言者様のモスクの日陰でベンチに座って生活してい たので、このような呼び名がつけられたのです。彼らは、絶えず預言 者様(S)のそばにいて、預言者様との交わりに専念していました。 彼らは名声も世俗的な権力も富も持たず、ただ奉仕することを望 みました。彼らの霊的地位は、預言者様(S)とその道に対する献 身的な奉仕に由来しています。スーフィズムとは、このような人々の 足跡をたどることです。タリーカという言葉の文字通りの意味は「道」です。スーフィズムにおけるタリーカとは、霊的な探求者(ムリードと 呼ばれています)が霊的な道を歩むための共同体です。イスラーム 教の伝統では 41 の主要なタリーカがあり、そのうちの 40 のタリーカ は、聖預言者様(S)の従兄弟であるハズラット・アリ・アル=モル タザ(KW)に由来します。その中には、カーディリー、シャディール、 リファーイー、ジェラヒなどの教団があります。私たちの道、この最も格 調高いオスマンリ・ナクシベンディ・ハッカニ教団は、預言者様(S) の最も近しい仲間であり、その洞窟での仲間であったハズラット・ア ブ・バクル・アズ=シディック(RA)にその系譜を遡ることができる唯 一のスーフィー教団です。私たちは、この偉大なる霊的な師たちのタ リーカにおいて、スーフィズムの道を歩むことを望んでいます。
シェイクとは?また、なぜシェイクが必要なのですか
シェイク(シャイフ)は霊的な指導者です。スーフィーの道を歩むこと を望む人は、道を案内してくれる人を持たなければなりません。なぜ なら、タリーカにおける中心的な課題は、自らのエゴと闘うことだから です。シェイクの導きがなければ、人は自分のエゴに騙されて、実は 道からの逸脱に向かっているのにもかかわらず、自分自身を浄化し ていると思い込んでしまいます。ナクシベンディ教団の偉大なグランシ ェイクの一人であるハズラット・ バヤズィッド・バスタミ(KS)は、「シェ イクを持たぬ者は、シェイターン(サタン)がその者のシェイクとなる」 と言っています。この言葉の意味は、導く人がいなければ、人は道か ら迷い出てしまうということです。シェイクとは、その先の道筋を知る 者であり、ムリード(道の探求者)を道中の危険から遠ざけてくれる人なのです。シェイクは、現実には、聖預言者様(S)の継承者 です。預言者様(S)の伝承にもあるように、「共同体におけるシェ イクは、国における預言者のようなもの」なのです。シェイクと一緒に 座り交わること(ソフベット)で、私たちは、預言者様と一緒に座っ て交わっていた仲間たちに倣うことになるのです。
ラビータとは何ですか
ラビータとは、つながる、対話するという意味です。ナクシベンディ教 団のムリード(探求者、追従者、弟子)たちの霊的修養の一つ は、自分のシェイクとラビータすることです。私たちの指導者であるサ ヒブ・エル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、ムリードたちはラビータという修練を空想の修練 に変えてしまう罠にはまってはいけないと語っています。ラビータはシェ イクと交わり一緒にいることで成長します。シェイクのそばから離れる ときには、「私がこの行動をとったらシェイクは喜ぶだろうか」と常に自 問します。常にシェイクが前にいることを意識し、そのようにアダブ (良い礼儀作法)を守ることで、ムリードはその指導者とともにラビ ータを成長させることができるのです。デルガヒから物理的に離れてい るムリードでも、タファックル(熟考)をして、「私のシェイクはこれをど う見るだろうか? これを聞いたらどう思うだろうか?」と自問するこ とができます。そのようなムリードは、定期的にライブ配信を見ること で、シェイクとのつながりを保つことができます。
なぜ、このタリーカはソフベットを拠り所としているのですか
すべてのタリーカにはピル、つまり創始者がいます。私たちのタリーカのピルであるシャー・ナクシベンド・ムハマド・アル=ウワイシ・アル=ブハ リ(KS)は、「タリカトゥナ・ソフベット・ワ・カイリ・フィル・ジャミアット われわれのタリーカはつながりの上に成り立ち、善は交わりによっても たらされる」と語りました。他のタリーカが、ズィクルやカルワット、ある いは音楽などを拠り所としているのに対し、ナクシベンディの道は、ソ フベット(説教、対話)に拠り所を置いています。それは、ソフベッ トという方法が、預言者様(S)の仲間たちが実践した生活様式 に最も似ているからです。彼らが預言者様(S)と常に交わることに よって、知識、礼儀作法、霊性を身につけたように、ナクシベンディの 師たちは、交わることによってムリードに教えを説くのです。交わりを 通じて、ムリードは常に意識的であるように教えられます。交わりを 通じて、ムリードはシェイクの良い礼儀作法を身につけます。交わりを 通じて、自分のエゴが自分をだます手口や罠を理解し、そうすること で霊的な道を進んでいくことができます。シェイク・アブドゥル・ケリム・ アル=キブリシ(KS)は、ソフベットは信者が自分のエゴやシェイタ ーン(サタン)と戦うための弾薬を与えてくれると語っています。ソフ ベットを聞く者と聞かない者の例は、国境地帯を警備している二人 の兵士のようなものです。ソフベットを聞く者は、敵と戦うためにライ フル銃に弾丸を入れているのに対し、もう一人はライフル銃を持って いても弾丸がありません。ライフル銃は弾丸を入れて初めて使いもの になるのです。それと同様に、ソフベットはムリードが霊的な道で遭 遇する危険や罠と戦うために必要な道具を与えてくれます。ソフベッ トなしでは、ムリードは道を見失ってしまうでしょう。
デルガヒの本部がニューヨーク州北部にあるのはなぜですか
オスマンリ・デルガヒのメルケズ(センター)がニューヨーク州北部にあ るのは、サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブ リシ・アル=ラバニ(KS)が神の啓示によってこの場所を選んだから です。シェイクは、スルタン・ウル・アウリヤ・シェイク・メヴラナ・ナジム・ アル=キブリシ(KS)より、アメリカにオスマンリ・デルガヒを開くよう 命じられました。デルガヒの場所を探していた時、シェイク・アブドゥ ル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、現在彼のマカームとなっている 場所で、グランシェイク・アブドゥッラー・ファイズ・アル=ダゲスタニ (KS)の光を見ました。聖預言者様(S)は、終末の時代には、 太陽は西から昇るだろうと述べています。シェイク・アブドゥル・ケリム・ アル=キブリシ(KS)はこれを、終末の時代にイスラーム教が西か ら昇ることを意味するものだと説明しました。彼は、オスマンリ・デルガ ヒが、ムハンマド・アル=マハディ(AS)がタクビールを唱えるときの デルガヒのひとつになると繰り返し述べています。16 歳の時、シェイ ク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、グランシェイク・アブ ドゥッラー・ファイズ・アル=ダゲスタニ(KS)から、彼がいつか西洋の 大陸をイスラームに開かせると告げられました。ニューヨークのオスマン リ・デルガヒは、その啓示を実現したものなのです。
オスマンリ・ナクシベンディの道では、どのようなズィクルをするのですか
サヒブ・アル=セイフ・シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシ・アル =ラバニ(KS)は、自分のムリードたちに、黙想のズィクルと唱念の ズィクルの両方をするように教えています。黙想のズィクルは、古くか らナクシベンディの道においての際立った特徴となっています。この道のムリードたちは、シェイク・メヴラナ・ナジムがシェイク・アブドゥル・ケリ ムに与えたタスビ(数珠)によって、毎晩黙想のズィクルを行いま す。このタリーカの今世紀のムジャッディッドであるスルタン・アル・アウ リヤは、かつてのフワージャガーンによって行われたように、ナクシベンデ ィの間で唱念のズィクルの修練を復活させました。シェイク・アブドゥ ル・ケリム・アル=キブリシ(KS)は、イマーム・ラバニ(KS)のよう なこの道の師たちが唱念のズイゥルの修練を打ち切った理由は、そ れが見栄や見せびらかしの手段になってしまったからだと言っていま す。シェイク・アブドゥル・ケリム・アル=キブリシは、今日ではその状 況は逆転し、黙想のズィクルが自惚れのために悪用され、一方、唱 念のズィクルは軽視されていると述べています。ナクシベンディの道 は、決して静的なものではありません。その時代の必要に応じて変 化します。アカール・ザマン(終わりの時代)の人々は、信仰が最 低のレベルにまで達しており、唱念でズィクルをすることは、人々の心 を目覚めさせるためのショック療法として有効です。さらに、私たちの シェイクは、イスラームの生ける力を示し、人々の心をナクシベンディ の道に引きつける方法として、唱念によるズィクルを用いてきました。 黙想のズィクルは、ナクシベンディの道における特徴的な修練です。 この唱念のズィクルは、預言者様(KS)とハズラット・アブ・バクル・ シディク(RA)がタウラーの洞窟で行ったズィクルを再現したもので あり、ハトム・エ・フワージャガーン(Khatm-e-Khwajagan)と呼ば れています。唱念のズィクルは、定着したスンナ(慣行)であり、こ の「終わりの時」において、マハディ(AS)の時を迎えるのためにムリ ードたちに活力と霊的な力を与えるものなのです。
バヤーとは何ですか それは必要なことなのですか
バヤーとは、聖預言者様(S)とその仲間たちによって始められた慣 習であり、聖典クルアーンの中でアッラー(SWT)が称賛しているも のです。アッラーは、スーラ・アル・ファトフの中で、「確かに、信者たち が木の下で汝(ムハンマドよ)にバヤーを捧げた時、アッラーはそれ を喜ばれ、彼らの心の中を知っておられたので、彼らの上に静寂を 下され、間もなく征服地という形で彼らに報いられた」と述べておら れます[スーラ・アル・ファトフ 48:18]。バヤーは、ムスリムがこの 1400 年の伝統に自分自身を繋げることを可能にします。私たちの シェイクは、預言者様(S)の継承者たちの黄金の鎖によって預言 者様と繋がっています。シェイクにバヤーを捧げることで、ムリードたち もこの黄金の鎖とつながり、アッラーの友の保護と導きの下に身を置 くことができるのです。